舞鶴市立白糸中学校

校歌


舞鶴市立白糸中学校校歌


作 詞  土 岐 善 麿
作 曲  信 時   潔


波清く底深き  湾のほとりに
その名と希望を  負いて立つもの
常に新たに  学び励めば
おのおの輝く  自治の光よ
仰ぐ青葉の  山に雲なし


舞う鶴のはばたきか  高き理想を
追いゆくよろこび  力満ちたり
耐えよ任あり  共に尽して
ひとしく社会の  人となるべし
道は与保呂の 川と正しく
この友情と健康と
われらの白糸中学校




 これが、私たち白糸中学校の校歌ですが、ほんとうにすばらしい、誇りに思う校歌です。
 この校歌が作られるに至った経過が作成当時、勤務されていた加藤為吉先生の手によって創立50周年記念誌の中に記されています。
 その文章を引用して校歌作成の紹介をしたいと思います。



(前略)


 その頃、木船校長(注:当時の校長の木船貞次先生)のもう一つの願いは、素晴らしい校歌を作ることでした。木船校長は 「校歌はその学校の教育方針や品格を表す大事なものだ。白糸中学校は、これから百年、二百年とつづいていく。卒業生は全国に散らばっていくことだろう。その時、いつどこにいても母校のことを思い出し、誇りにできるような最高の校歌を、一流の人に頼みたい。」と、言われました。そして当時、超一流の詩人であった国文学者の土岐善麿氏に、手紙を書かれたのです。昭和三十年の夏のことでした。
 作詞のための謝礼も、寄付に頼らず、生徒が校内でやっている学用品販売の実習で得る利益金を積み立てて充てようと、一面識もない土岐先生へ、お手紙を書かれました。
 職員室ではまたも皆が顔を見合わせました。「あんな有名な先生が、こんな田舎の学校の校歌を引き受けてくれるはずがない。」と。
 しかし、その五日後土岐先生からは、「貴校教育の上でお役に立つことは楽しいことに存じます。」との承諾の返事が届きました。私達は、木船校長の熱意もさることながら、それを意気に感じ、心よく校歌作詞を引き受けて下さった土岐先生の返事に、「本当だろうか。」と、しばらくは信じられない程の思いでいたものです。
 土岐先生は、その年の文化の日、舞鶴へ来られました。木船校長の案内で町を一望できる四面山や学校周辺を歩かれ、翌日には、講堂で「文化というもの」という題で、全校生徒にお話しをして下さいました。その中で、前夜泊った旅館でうけた心のこもったお世話のことを、「三つの枕」と題して話して下さいました。まだ若い旅館の方が、硬さや高さ、幅の異なる三つの枕を持参して、先生の一夜の安眠のため心をくだいてくれたことのお話しでした。生徒達に、「これから社会に出て、人とつき合う時、互いに相手の身になって思いやる心、やさしさを何より大切にして下さい。」と、諭すように語っておられたことが、忘れられません。

 その後校歌は、土岐先生の推薦もあって、信時潔先生に作曲をお願いし、翌年一月二日に完成しました。当時音楽担当だった英門子先生は、正月なのに木船校長から電話で、「校歌ができた!すぐ来てくれ。」と呼び出され、早速、木船校長の前でうたったそうです。
 三学期が始まると、音楽の時間は校歌の練習ばかり。習字の時間には歌詞を書くという毎日でした。子供達も一生懸命でした。
 そんな中で木船校長は、是非一度土岐先生にもお聞かせしたいと、その年の六月、三年生が修学旅行で東京に行った折に、本郷の真砂小学校(注:現文京区立本郷小学校)の講堂をお借りして、土岐先生を御招待し、ハーモニカの伴奏で校歌を合唱しました。先生は背広姿で、生徒達のそばの椅子に腰かけ、じっと聞いておられました。
その時、生徒代表で土岐先生に花束を贈った豊沢都喜恵さんは今も、「校歌ができたときは嬉しくて、すぐ覚えました。校歌というと、高校の校歌より、白糸中学の校歌を、今でも歌うんです。」と、懐しんでいました。
(後略)





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